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10月12日 兄の葬儀に行ってきました。 [生きる]


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兄の葬儀で故郷に行ってきました。

兄は昨年、7月ころだったと記憶していますが、胆管になにか詰まっているのが見つかり、高齢でも
あるということで様子を見ることにしていました。その後、入退院を繰り返し10月早々の入院が
最後の入院となり、死去しました。病名は詳しく聞きませんでしたが、胆管に癌が出来ていたようです。



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兄は昭和5年生まれで11月15日に91歳になるところでした。
太平洋戦争中はまだ招集される年齢にはなっていませんでしたが、敗戦後、農村の人手不足で
今の中学校も卒業していません。国民学校を出ると2年制の高等科があったようです。
稲作農家の長男で、父親が病気がちの人でしたから、母親と一緒に農業に携わったのです。
以来、90歳になるまで働き詰めでした。



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お通夜、火葬そして葬儀はコロナの影響でそれまでのやりかたとだいぶ違うものでした。
コロナの感染拡大を極力抑えようという意図でしょう、お通夜は午後6時からと案内されて
いましたが、密になることを避けたのでしょう3時過ぎからお焼香に来る人が多かった。
午後6時は和尚さんが来る時刻でした。以前はお通夜に来ていただいた人には飲食をしてもらうのが
一般的でしたが、それはなしでお弁当を持ち帰ってもらっていました。
火葬も待っている間に飲食がありましたが、これもお弁当でした、それも黙食。
葬儀の後の会食もなく、これもお弁当。いづれも飲み物はお茶。

お葬式は付き合いのあった方々が集まり、飲んだり食べたりしながら故人を偲ぶものだった
と思うのですが、そういった場面はほとんどありませんでした。基本的に、感染防止のため
親族のみでの葬儀でした。
入院しても家族ですら病院内に立ち入ることは出来ず、旅立つときも長男一人が
立ち会いだったそうです。一生懸命生きてきたのにオシマイはこんな状態。
さぞかし故人は寂しい想いをしたことでしょう。

上の写真は火葬場の周りの景色です。ここは栗駒山の裾野の林の中にあり静かでした。
様々の工程の途中で考えることが多かったです。
わたしは3人姉弟で、長女はだいぶ間に逝きました。姉弟はもういません。
寂しいですね。

皆様のブログに昨日からお伺いしていますが、やはり精神的に疲れているようです。
コメントが書けないと思いますので、お許しください。
でも、皆様のブログにお伺いすると、何かしらホッとした気分になりました。
今後とも、よろしくお願いいたします。

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